女子大生取材日記③〜なれそめ、もしくは70年前の私について〜
進捗報告
・沖縄着きました
以上です。
取材は明日からだが、いろいろと朝早くに取材を入れている。たぶん早起きしないといけないのだろうけど、土地勘がないため、どこにいくにはどのくらいかかるのかいまいちわからないでいる。
土地勘のない沖縄にどうして取材に行くのか、そういえば書いてなかった。書こう。
私はたぶん、ひめゆり学徒と自分が同じだったという証拠を探したいんだと思う。
去年の7月7日に、ひめゆり学徒隊をモチーフに作られた、今日マチ子原作『cocoon』という舞台を観劇した。
そのときの感想ブログ(70年前のわたし - ログ )にもいろいろ書いたのだが、これは「私の話だ」と思った。
戦争を体験したこともない、もう少し近いところで言えば看護体験もない、ないけれど、あれはたしかに女子校で生きてきた私の話だった。
中高一貫の女子校に通ってきた。
友達と下校時間まで話続けたこと、
部活も委員会も頑張っていたこと、
定期テストも、体育の授業も、
私は彼女たちとどう違うのだろう、と思った。
それに気付いたことはどうしようもない恐怖を私に与えたと同時に、「本当にそうか?」という疑問を抱かせた。
時代ということ以外に、「違う」部分があると思いたい。思いたいけど、無い気がする。
それなら、私は彼女たちのことを知らなければならないのではないだろうかと思うのだ。
70年前に生きていた私のことを知らなくちゃいけないのだ、きっと。
沖縄戦の話を聞きたいというよりも、私は彼女たちが「ひめゆり学徒隊」になる前の話が知りたくて、沖縄にまで来てしまった。
あなたはどんな人で、どんな友達がいて、どんなことが好きでしたか。
教科書に書かれていなかったことが知りたい。
だから、取材をすることにした。
それが私のこれに関する「話」だ。
ここからは違う話。
『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』や『水筒』を読んで思ったことが幾つかある。
女子校のころ、校則は厳しかったけれど、私は確かにあそこで生きていた時間「守られている」と感じていた。
大学は楽しい。
自由で好きなことだけやっていても許されるから。別に好きじゃない人と関わり続けなくてもいいし、合わないと思ったらやっていることをやめてもいいから。
いいね、いいことだ。
でも私は「守られてない」と思う。
特定の組織の下(ゼミとかそれ以外の特殊講座)では「守られている」と思うけれど。
組織に属するというのは「守られる」ということだと思う。
「守られる」代価として要求されるのは「構成員としての正しさ」なのだろう。
校則は守らなくちゃならない。先生の話は聞かなくちゃならない。女子校時代よく「うちの生徒としての自覚を持って」と言われたのは、きっとこのことだ。
対価を払わなければ、守ってはもらえない。
ひめゆりの話は、だから私にとってしんどい。
対価を払って、払い続けて、それでも守られなかった話だと思うからだ。
6月18日に彼女らが歌った別れの曲が、きちんと卒業式で歌われることが必要だったと思うのだ。
はじめて来た沖縄は思ったより暑くない。
今日は曇りで、曇りだったけれど、夕日が綺麗だった。
明日は晴れるといいな。
てびち美味しかった。
また更新しよう。
いつにも増して文章がべろべろで申し訳ないです。